奥さんがいうには、私の親の私への扱いはひどいということでした。長女の奧さんには考えられない九州次男へ対する親の私への扱いはありえなかったようです。
でも、その中にいるとそれが当たり前に思ってしまいます。
でも、少し視点を変えれば当たり前はひどいこと。
今日の記事は、年老いた母親の面倒を見なければならなかった私の知人の女性と母親の関係を探ることで、親との関係を再考するものです。
父親の介護から
椿さんは、年老いた父親の介護を母親とやりながら、大好きなブランドショップの社員として働いていました。
椿さんは一人っ子。
元々は裕福な家庭で都内の一等地に持ち家があり、椿さんは子供の頃からピアノを習っていたり、中学生の頃から私学に通っていました。両親は贅沢を惜しまないような人たちで服装もいつも派手で、毎晩外食をして、椿さんをいつも綺麗な服で着飾っていました。
家族に愛され、大好きな服に囲まれた職場で働くことになり、経済的にも恵まれた椿さんは20代まで幸せいっぱいの日々を送ります。
ずっと両親との同居ですが、母親は一切料理をしない人だったので、ある時期から椿さんが朝食を作って仕事に出かけるようになります。
椿さんが自宅に戻り、そこから夕食を作って家族3人で食べる。椿さんがどんなに忙しくても母親は一切料理を作りませんでした。
「毎食、外食でもわたしはかまわないのに」
そういう人でしたが、お金もかかるし、親の健康面を考えて、椿さんは頑張って全てやってあげていました。
そうです。椿さんは仕事でも親の面倒でも、何事にも頑張ってしまう人だったのです。
だから、理不尽とも思える母親の要求にも答えられてしまうのです。
それが、アダとなったのかもしれません。
一つ歯車が狂ってしまうと…。
しかし、椿さんが30代前半の時、父親が脳出血で倒れます。
身体が不自由になり、仕事ができなくなりました。
自宅で母親と椿さんが父親の介護をしながら椿さんが家計を支えることになったのです。
裕福だった生活は一変しました。椿さんの休みは週一しかないため、母親が介護をしていたのですが、体力的に一人では無理。週5でヘルパーさんに来てもらい、残りを椿さんがなんとかカバーします。
いくら蓄えがあるとはいえ、貯金を切り崩していかなくてはなりませんでした。
そういった生活の中で最も大きかった支出は、母親の浪費でした。
最初こそ、母親は父親の介護のために一生懸命動いていましが、1年経った頃になると、ヘルパーさんに任せきりになり、一人で百貨店に出かけてはショッピングに食事にと浪費を繰り返すようになります。
当然、椿さん一人の収入だけでは家計は持ちません。
椿さんは、何度も母親に浪費をやめるように言いますが、
「私から贅沢をとったら、生きていけなくなるのよ。お金がなくなっても、この家を売ればなんとかなるでしょう?あなたもそんな仕事だと大きな収入も見込めないんだから、もっと割の良い仕事に変えてちょうだい」
「こんな生活を続けていたら近いうちに破綻してしまうよ」
いくら言っても母親は言うことを聞いてくれません。
椿さんはヘルパーさんを週7でお願いすることにし、ショップには週6で勤務。休日の1日をアルバイトに当て、自宅に戻るとヘルパーさんと交代して父親の介護をするという生活を送ることになります。
しかし、そんな生活をいくら続けても出て行くものがあまりに多いため生活はどんどん苦しくなります。
時間をかけて作り上げられた母と娘のリズム
もっと、若いうちに、
「毎晩、外食なんてお金がもったいないから絶対にダメ。料理も自分で作ってね」
母親にそう言ってあげられることができたら少しは状況が変わっていたかもしれません。
わたしは、10数年前、たまたま入ったイタリアンレストランで椿さんと母親が食事をしている姿を見たことがありました。
すでに、父親は倒れ、母親と二人で介護をしていた時期です。
彼女もわたしの存在に気づいてなかったし、わたしも仕事の関係者と一緒でしたので声をかけなかったのです。
そこは、ピザが美味しくて有名の店で、母親がグルメだと彼女から聞いていたので、(なるほど、こういう店に毎日のように通っているのか。そりゃお金かかるわ)。そう思いました。
二人の前には二枚の大きなピザが並び、サラダやパスタまで注文していました。
彼女の母親はとても体の小さい方で、椿さん自身もそれほどたくさん食べる方ではないので驚きました。どう見ても、食べきれる量ではないのです。
二人はほぼ同時にそれぞれのピザにフォークとナイフを入れ、食べ始めます。(一人が一枚食べるの?無理でしょう)。案の定、ビザもパスタも残っています。
椿さんが店員さんを呼んで、持ち帰りができるのかどうかを聞いていましたが、それを、母親が制しています。
「そんなみっともないことできないわよ」
店員さんが、「お持ち帰りされる方もいますので専用のボックスに入れることができます」そう言いますが、母親は、
「どうせ持って帰っても、冷えてしまって食べないから」
そう言って断っています。結局、1枚丸ごと残ったピザをテーブルに置いたまま店から出て行きました。
「なんであそこで、母親の言うことに従ってしまうのだろう?」
端で見ていて、煮え切らない感じがしましたが、椿さん母娘にとって、それが自然の会話であり、それが自然な成り行きなのでしょうし、それが二人のリズムなのでしょう。
家計が苦しくても、母親は贅沢をやめられない。それを止めることもできない。別に家計が苦しくなくてもピザを持って帰ることはみっともないことでもなんでもありません。トースターで焼けば十分美味しく頂くことができます。椿さんはただ店員さんに、
「お願いします」
そう言えばいいだけです。でも、母親が拒めば、椿さんにはそれに対抗する術がありません。
大人になっても、母親からの囚われを解くのは、簡単なことではないのです。
自分のことしか考えない母親たち
そして、ある日のこと、椿さんは母親から、突然、奈落の底に突き落とされます。
「そういえば、2ヶ月後にこの家を出なくちゃならなくなったのよ。売っちゃったの。そのお金で、千葉の方にマンションを買ったのよ。お父さんよく言ってたのよ。あっちの方の自然に囲まれたところで暮らしたいって。昔からお世話になっている不動産屋さんから良い条件で買ってくださる方がいるって話を聞いたので決めちゃった。同時にマンションも探してもらってたのよ」
「どうしてわたしに一言も相談がないの?」
「だって相談したら反対するでしょう?お父さんは定年退職したらこの家を売って郊外で暮らすことが夢だったのよ」
「でも、わたしは?わたしの仕事はどうなるの?」
「ほら、そう言って反対するでしょう?千葉からでも通えるでしょう?だって辞めるわけにはいかないいもんねえ」
「当たり前だよ!もちろん辞めるわけにはいかないよ。だからって千葉から通えないよ。帰宅時間もものすごく遅くなるんだよ。ヘルパーさんとかどうするの?」
「その分、時間を延長して貰えばいいじゃない。こっちは物価も安いから外食したって今までとは全然楽になるのよ。あなたが今よりちょっとだけ頑張ってくれればもうお金の心配もいらないのよ」
もうこの言葉に逆らうことはできません。
母親のこの言葉は、椿さんにとっては、号令のようなものです。
「従わなくてはならない」
正しい正しくないじゃないのです。母親からこういう言葉が発せられたら彼女は従うという選択肢しかなくなるのです。
これはもう、”洗脳”と言ってもいいのかもしれません。
(無理だ。今のような生活を維持するだけでもきついのに、千葉から毎日通うなんて無理…)
心ではそう思っているのです。でも、口には出せないのです。
椿さんは、ずっと続けていた今の仕事、たくさんの仲間がいる今の仕事を辞めたくはありませんでした。
それ以前に、今の仕事を辞めて、千葉で新しい仕事を探しても見つかるという保証もありません。特に椿さんのような仕事は東京と地方では供給量が全く違います。社員として雇ってもらうことも難しいでしょう。
(ダメ。絶対に辞められない…)
椿さんの1日は、今までより2時間早く起きて2時間遅く帰宅するというリズムに変わりました。この4時間の負担は椿さんの心に大きな打撃を与えます。
さらに、生まれ育った場所での介護と、全く知らない土地での介護。心細さは比べものになりませんでした。
気晴らしに公園に散歩に行っても、地元の商店街に行っても知っている人が一人もいない。
「介護大変だけど、頑張ってね。何かあったらいつでも声をかけてね」
そう言って励ましてくれる人もいないのです。
それでも椿さんは頑張りました。頑張りましたが、所詮、無理でした。
2ヶ月ほど経ったところで気力がなくなり、職場に向かうことができなくなったのです。朝、きちんと起きても家から出られない。
友人に相談し、連れて行ったもらった心療内科での診断はうつ病でした。
それでも、会社は有給休暇を与えてくれて最初は半年待ってくれました。その間、自宅で父親の介護をすることになるのですが、母親が、
「お金がもったいない。わたしとあなたでやれるでしょう」
と、ヘルパーさんとの契約を解除します。しかし、実際は椿さんが一人で父親の介護をすることに。そんな状態で家族の協力も得られない彼女の病状が良くなるはずもなく、仕事に復帰したり、また長期休暇をもらったりを繰り返すうちに、とうとう会社から、
「退職金を気持ち多く出すので、早期退職してもらうことはできないだろうか?」
と、言われてしまいます。
椿さんもそれに従うしかありませんでした。
仕事を辞めて、なけなしの退職金と失業保険、父親の年金。そして、貯蓄の切り崩しで父親の介護をしながらの生活が始まりますが、ほどなくして父親が亡くなります。
だからと言って、椿さんの気持ちが軽くなるとか、症状が改善されるということはありませんでした。
父親のために東京を離れて、職場から遠く離れた千葉の郊外に引っ越したのに、その父が亡くなってしまったのです。
父の介護だけが、椿さんを社会につなぎ止めてくれた”仕事”だったのに、父が少しでも元気な姿を見せてくれることだけが椿さんの症状を少しでも回復させてくれる手段だったのに、それすら奪われてしまったのです。
父親が亡くなった途端、あれほど元気だった母親が急にひ弱になり、一気に弱っていきました。
「お母さんは死ぬまであたしを束縛し続ける気みたい」
椿さんは今、生活保護と貯金の切り崩しで年老いた母親の介護をしながら生活しています。
「じゃあ、こういう生活になる前に何ができていたって言うの?過去に戻って違う生き方ができたとしても、私は結局、ここに戻ってくるような気がする。あのお母さんの娘である限り、私の人生は同じことを繰り返してしまうと思う。だって、わたしはお母さんに逆らうことだけは、どうしてもできないから」
一卵性母娘
”一卵性親子”という言葉があります。
「あの母娘、一卵性親子だよね。言葉遣いとか、性格とかよく似ているし、いつも二人で一緒にいて、本当に仲が良いよね〜」
でも、それはあくまで、「他人から見て、そう見える」にすぎなかったりします。
椿さんも子供の頃からご近所さんからそう言われていたそうです。母親と同じブランドの服を着て、いつも二人で外食をして、ピザを食べる時は二人で同じピザを2枚頼んで。
それはそれは仲の良い母娘にしか見えません。
しかし、椿さんの口癖は、
「あの人は自分ではなんにもできないのに文句ばかり言う」
でした。
具体的にどういう文句かといえば、例えば食材を買うにしても、
「お肉は紀ノ国屋。お魚は伊勢丹。野菜は○○で買ってきて」
全て母親が決めている。椿さんは、時間の合間を縫って、わざわざ新宿まで出てきて、高級なお肉や野菜を買うのです。
「なんでそんな言いつけを守ってるの?常識的に考えてもその感覚はおかしいよ。高級なお肉は近くのお肉屋さんにも売ってるし魚だったら築地の方が近いよ」
「でも、ダメなの。指定された場所以外で買っても食べないから」
「でも、このままだと近いうちに生活が行き詰まるよ。その先に何が待っているか、考えてる?」
「いいの別に。あの人が生きている間は仕方がないって思ってる。どんなに頑張ってもいずれお金だってなくなるし、そうなると買いたくても買えなくなるし、いずれ私より先に逝ってしまうだろうし、そうなるとわたしも自由だし。それまで我慢すればいいだけだから」
その頑張りが肉体を追い込み、思っていることも言えず、我慢を続けていたことが心を蝕んでいったのかもしれません。
今現在、椿さんは母親の介護をしながら、状態の良い時にはパートなど、短期のアルバイトで生計を立てています。
母親の一方的支配
子供にとって母親の存在は絶対です。
母親の言っていること全てが正しいと思っています。
それが成長の早い子であれば、小学校に上がる頃になると、
「ママの言ってることなんかおかしいよね」
「ママ!こないだと全然違うこと言ってるよ」
「わたしにやっちゃいけないって言ったこと、自分がやってるじゃん」
そういうことに気づき、そういうことを指摘できるようになってきます。
「あれ?ママの言ってることが全て正しいってわけじゃないんだ…」
そういう気づきが、独立心の第一歩となるのです。
これは、子供が大きく成長するために、本当に大事な第一歩です。
この瞬間を、母親が否定してしまったら、子供の成長が止まるどころか、心に大きな傷をつけてしまうことになります。それが、トラウマです。
それほど、大事な瞬間なのです。
子供の気づきを認めてあげるのか、否定するのか、対応を一つ間違うと、全く逆の人生を歩むことになってしまいます。
「今はお母さんの話じゃないでしょ!あなたのことを言ってるの!」
「あなたはどうしてそういうひねくれた考え方をするの?あなた、本当にそういう性格の悪さはお父さんそっくりね」
「お母さんの言っていることが信用できないの?じゃあ、わかった。もう二度とあなたには何も言ってあげない。一人で勝手に成長しなさい」
「あなたはわたしの言うことだけを聞いていればいいの。お母さんの言葉はいつでも正しいんだから。わかった?!」
そういう子供の成長を抑えつけるような叱り方をしていませんか?
もし今仮に、そうなのだとしたら、即刻、やめてください。
子供を叱ることは大切です。
でも、それは、
子供が間違いを犯した時であって、母親の権威を振りかざすためではありません。
母親が子供を庇護してあげるのは当たり前ですが、支配してはダメなのです。
親と子は、特別な関係です。
親と子というだけで、すでに特別な関係なのです。切っても切れない関係です。
親が権威を振りかざさなくても子供は、8歳までの間に子供は親を尊敬し、無償の愛情を全て注いでくれています。
その上、さらに、親に従わせるようなことをする必要は全くないのです。
もし、子供が突然、従わなくなったら、それは、子供が間違いを犯しているのではなくて、親が間違いを犯している。
その可能性の方が高いのです。
そのことに、どうか気付いてください。
続きは、毒親に育てられた娘と母の相互依存4 親と距離を置くをご覧くださいませ。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)