そもそも、うちの嫁姑問題は、私が親にいい子ぶろうとして、奥さんをコントロールしたことに発すると今ならわかります。私の心の根底には、親に長男の兄よりも自分を大切に扱ってもらいたく、いい子を演じていたのです。その矛盾がついに火事になりました。今日は、引越し最中なのに突然親が宿泊したいというのを断れず、いい子になって引き受けた私のせいで嫁姑問題に発展してしまったことをお伝えします。
正確には、”嫁姑舅問題”
父は、本当に奥さんのことを”娘のように感じよう”と、してくれていたのだと思います。
父の言葉の端々から、奥さんに対する気遣いというか、そういうものは感じられました。
ただ、それは、わたしが息子であって、父がどういう人間であるかということを少なくとも奥さんよりは、わかっていたからに過ぎず、その気遣いが奥さんに通じなければ、まったく意味がないのです。
下手をすると、その気遣いが仇になってしまうことのほうがむしろ多い。
だから、そんな下手な気遣いをするくらいだったら、さっさと本音を出したほうがいい。
そもそも、わたしの両親に気の利いた気遣いを期待するほうが間違っている。
だから、嫁が気を使うのが筋なのかも…。
そう思ったりもします。
じゃあ、どんなことにも応じなければいけないの?どんな理不尽な要求にも黙ってうなづいてなくてはならないの?
もちろん、そんなことはない。そんなことはないけれど、その加減がわからない。
だから、通じ合えないのです。
父は、わたしたちの家に泊まる時は2泊します。つまり、二晩、嫁と舅が二人きりになるのです。
父はものすごい暑がりでした。冬でも、パンツ一丁で家の中をウロウロするような人です。
まさかね……。
でも、そのまさかが起きるのが、わたしの家族。
初めて奥さんと二人だけの夜、父は風呂上り、パンツ一丁で奥さんの前に現れました。
「お義父さん、さすがにその格好はちょっと」
「ん?ああ、気にせんでええんよ。ぼく暑がりやけね。冬に寝る時もパンツ一丁なんよ。お互い気を使いすぎても疲れるやろ。だから、ぼくは自分の家におるのと同じようにやるよ。だから、茜さんもぼくに気を使わんでええけね。ぼく、本当にうれしいんよ。あんたのような娘ができて。ガハハハッ〜」
「はあ……」
なぜか、父は、奥さんに対しては、自分のことを「ぼく」と言います。自分のことは「おれ」母には「おい!」わたしには「宏」なのに、奥さんには「茜さん」で、奥さんと話している時は自分のことを「ぼく」。
「ぼく」と言っておいて、家の中ではパンツ一丁。裸の大将かっ!
父は、実家ではとても寡黙です。しかし、奥さんと二人のときはとても饒舌のようです。
「ずーっと過去の自慢話を聞かされてる。しかも、毎回同じ話ばかり」
「ずーっとしゃべってんの?」
「ずーっとしゃべってるよ」
「わたしみたいだね」
「そっくりだよ。いや、あなたは自慢話しないもんね。あんなにする人、他に知らない」
父なりに沈黙を避けているんでしょうけれど、そういうの、うまくないんだよな〜。
やはり、「嫁と舅」という関係ですから、最初からすべてが上手くいくはずなどなかったのです。でも、わたしの頭には、”上手くいかない”と、いう発想がまったくなかった。
それ以前に、”上手くいく”とか、”上手くいかない”とか、そういうことではなく、
「嫁が上手くいくように努めるべきだ」
そういう刷り込みがわたしにはあった。
それが、全てだったと今さらながら反省するのです。
反省しても過ぎ去りし日々は戻りませんが…。
親(姑や舅)にとっては、しょせん、次男夫婦子供なし
20代の頃は、わたしも奥さんも仕事が忙しく、まったく実家に戻ることはありませんでした。父は、年に4〜5回は仕事で上京し、わたしの家に泊まっていたので、奥さんとのコミュニケーションにも慣れたというか、わたしが勝手にそう思っていました。
東京には、独身の兄も住んでいたのですが、そちらの方にはまったく泊まらず、泊まるのはもっぱらこっちばかり。理由は、
「あいつの部屋は狭いけぇ」や「あいつは忙しいやろうから迷惑かけられん」「一人もんの部屋は汚い」。
これが、奥さんには気に入らなかった。
「どうして、わたしたちに会いたいからとか、こっちの方が快適だからとか、そういう理由じゃないの? それだったらわかる。私だって働いていないわけじゃない。朝から夜中まで働いていて、疲労困憊だし・・・、猛烈に忙しい・・・」
つまり、兄に気を使った父の考え方をどうしても理解できなかったのです。
「結局、あなたより、お義兄さんのほうが大事なんだよね。だから、お義兄さんには気を使うのに、わたしたちにはまったく気を使わない」
「まあ、九州では長男は特別だからね」
そう言っても、奥さんにはまったく理解できないのです。なぜなら、奥さんは長女としての育てられ方をしてきたので、次男次女的な扱いが納得できないのです。それこそ、そう言って納得しているわたしのことを彼女は一番理解できていなかったのかもしれません。
「わたしたちは蔑ろにされている。あなたの親にとって、わたしたちは東京のホテルみたいなものなのよね」
「そうかな〜。そんなことないと思うよ。まあ九州では長男のほうが大事だからね。特にうちの親父はね」
「だったら、なぜ、お義兄さんのところに泊まらないの?」
「男二人きりなんて、むさ苦しいでしょう。こっちのほうがリラックスできるんじゃない。どういう意味でも頼られるってことはうれしいことじゃん」
まあ、わたしがこういう考え方だったから、奥さんの気持ちがどんどん硬化していったということもあるでしょう。
あるとき、奥さんはこういうことも聞いてきました。
「あなたの両親、ものすごく保守的な考え方をしているのに、子供のことは全然聞いてこないのね。なぜかしら?」
確かに、父も母も、奥さんがいないところでも『子供はいつ作るんだ?』などと、聞いてきたことは一度もありませんでした。
「不思議だな〜。あの二人、子供大好きだからね。早く孫欲しいはずなんだけどな〜。そういうことを言って、プレッシャーをかけるのは良くないって思ってるんじゃないのかな?」
「あのご両親がそんなことに気を使うとは思えない。おそらくだけど、長男が結婚してなくて子供もいないから、そっちのほうで頭がいっぱいなんじゃないかな?わたしたちが子供をつくろうがつくるまいが、興味がない」
「あ、たぶん、それだね。それが一番腑に落ちる」
”長男”の結婚、そして、子供の誕生で変わる次男夫婦への嫁舅の態度
ほどなくして、兄は結婚。すぐに長女が生まれました。あとから聞かされて知ったのですが、両親は兄のために3〜4回、お見合いを設定していました。当時の兄はまだ20代。焦る理由はまったくありませんが、
「バツイチの兄でもお嫁にきてくれる人」
つまり、”風家に入ってくれる人”
と、いう条件で探していたようです。
まあ、これもある意味、兄に対しては失礼な話です。親が勝手にそういうレッテルを貼って、自ら安売りにみたいに宣伝しているのですから。余計なお世話です。
結局、恋愛結婚で、相手は東京の人で、そのことで両親は「また?」と、いう心境だったようでしたが、長女が生まれたときの両親の喜びようと言ったら、それはそれは、大きなものでした。わたしたち夫婦も、このときばかりは、兄夫婦に感謝の気持ちでいっぱいでした。
わたしたちはこの時期、まだ子供をつくる気持ちはありませでしたし、両親からのプレッシャーも受けてはいませんでしたが、「申し訳ないな〜」と、いう気持ちはわたしにも奥さんにも微かながらありましたから。
ただ、このとき、はっきり自覚したことも確かです。
両親にとって、やっぱり、
長男の嫁と子供は特別
だった。
そういう考え方は少なくなったとはいえ、地方ではまだまだ根強く残っています。
また、友人のエピソードです。
つい先日のこと、第一子が誕生しました。女の子です。父親は東北出身。母親も県こそ違えど、同じ東北出身です。
夫婦は東京に住んでいるので、東京で出産。病院にお互いの母親がかけつけました。
そして、夫の母親は、長女を産んだ妻に何度もこう言ったそうです。
「◯◯家(ご主人の苗字)の子供を産んでくれて本当にありがとう」
そして、妻の母親には、
「娘さんは◯◯家の子供を産んでくださいました。本当に感謝しています。この子はわたしたち◯◯家が責任を持って育てますから、お母さんもどうぞ安心してください。だから、すべてこちらに任せてくださいね。これは、主人からのお願いでもあります」
それまで、友人の奥さんは、
「◯◯家の嫁に入った」
と、いう自覚はほとんどありませんでしたが、子供を産んだことによって、自分と娘が夫の”家”に取り込まれたような感覚に襲われたといいます。奥さんのお母さんも、
「ご主人のお母さんから、『うちの孫ですから、お忘れなく』と釘を刺されたようで気分が悪かった。絶対に孫は渡さないって言われた感じがした」
と。
そして、今は、姑から、『早く長男を産んでね』と、ものすごいプレッシャーにさらされているそうです。
ご主人は、サラリーマンですし、将来の夢があるので、
「実家を継ぐつもりはないから、安心して」
と、妻には話すそうですが、舅姑は、実家を継ぐことになんの疑問も挟まず、長男が戻ることを前提とした話ばかりするので、夫と舅姑がお互いにどれだけ腹を割って話をしているのか、甚だ疑問に思っているそうです。
つまり、
「嫁姑問題」は、そこかしこに転がっています。
そこに、「孫」がからむと、ようやくわかりやすい形で、舅姑の考えが表面に出てくる。
そういうパターンが多いようです。
親(姑や舅)にとって都合がいい嫁や息子
やっぱり、時代が変わっても、九州なのです。
『社員を追い込むパワハラの実態3』でも書きましたが、父にとって、長男は特別な意味を持っているのです。
「あなた、宏とお兄ちゃんのどっちが大事なん?」
母にそう聞かれた父は、
「そんなもん、長男に決まっとるやろが!長男やぞ!当たり前のことを聞くな!」
と、母を怒鳴りつけたことがあったそうです。
わたしがそのエピソードを聞いたのは数年前のことでしたが、それを聞いた奥さんは、
「そんなの最初からわかってたよ。だって、あなたもわかってたでしょう。だから、気に入られよう、気に入られようとしてたんでしょう?」
子供のころから、兄には許されても自分には許されない理不尽な仕打ちに心では抵抗しつつも、頭では、「親は正しい。言う事を聞かなくては」と、思い込もうとしていました。
それを大人になったからといって、変えることはできません。
親に対する、わたしの中にある矛盾が、常に奥さんを混乱させていました。
兄に長女が生まれたことによって、両親が頻繁に上京してくるようになりました。
とはいえ、泊まるのは、相変わらずわたしたちの家です。
兄夫婦の家には決して泊まろうとしないのです。その理由を聞くと、
「赤ちゃんがおるから、授乳だのなんだの大変やろ。奥さんにストレスがかかると申し訳ないもんね。迷惑かけられん」
長男のお嫁さんには、ものすごく気を使うのです。わたし奥さんに対して、
「ストレスがかかると申し訳ない」
なんて言葉は一度たりともの聞いたことがない。奥さんにとって、兄の奥さんとの比較も、新たな火種になっていきます。
上京するたびに、わたしたちの家に泊まり、昼間は孫に会いにいく。そして、夜に戻ってくる。
そういうリズムができあがりました。
「まあ、仕方ないじゃん」
そう言うわたしに奥さんは、何も文句を言いませんでした。当時、わたしたち夫婦は、とにかく仕事が忙しかったので、実際、両親の相手をする時間がほとんどありません。
だから、両親に鍵を渡していました。これも、いけなかったんですけどね。
両親がわたしたちの家に泊まったり、鍵を渡していることに奥さんは、まったく不満をいいませんでしたが、唯一、これだけは直してほしいと思っていることがありました。
それは、
「来る時間を教えてほしい」
と、いうこと。
そもそも、父が一人で上京してくるときもそうなのですが、いつ到着するのか?出かけた先からいつ帰宅するのか?と、いうことを両親は、一切教えてくれないのです。
「いろいろと準備があるので、前もって時間だけ教えてもらえますか?」
そう聞いても、必ず、
「いいよいいよ。そんなの気にせんで。ぼくたちのことはほっといてくれていいから。ご飯とか、お風呂とかすきなようにやるから。気を使ってくれんでいいんよ」
そう答えるだけで、決して教えてはくれません。(まあ、鍵渡しちゃってますからね。その時点で間違えてますから、わたし)そのことが、奥さんにはものすごいストレスでした。
それが、孫ができたことによって、なおさらまったく時間が読めなくなってしまったのです。
それまで、いつもなら、浅草とか美術館とか、東京見学に出かけては、だいたい夕食どきには帰ってきていたのが、夜11時過ぎだったり。その時間になって、ようやく、
「やっぱり今日はお兄ちゃんのところに泊まるから」
と、連絡してきたり。
さすがの奥さんも我慢できなくなり、姑に、
「わたしも宏さんも仕事がとても忙しくて、ご飯とか、お風呂の時間をしっかり把握しておきたいので、お願いですから、何時頃に家に着くのか、ご飯は食べるのか食べないのか、そういうことだけでも教えていただけませんか?」
と、話しました。しかし、
「お父さんが、そういうの嫌うけね〜。時間に縛られるのが嫌でね。わたしもお父さんに言うんよ。でも、あの人、予定を決めてもすぐに変えるけね〜」
「でも、東京駅から電車に乗る前とか、電話できますよね」
「そうなんやけど、忘れるんよね」
そんな両親ですから、もちろん、携帯電話も持っていません。
「でも、本当に困るんです。お願いします」
「そう言われてもね。お父さん、嫌がるけね〜。ほら、あの人、公務員やから、休日くらい時間に縛れらたくないって」
そう言って、母も断固として、前もって連絡することを拒否するのです。
(言ってダメなら、もう何も言わない)
この辺りから、奥さんの中に、舅姑に対して、分厚くて高い壁が形作られるようになっていきました。
冷戦です。
(マツコ・デラックスさんがテレビで、親であったとしても、簡単に合鍵は渡すものではないし、無礼には無礼で返すしかないと話されていましたが、本当です!)
世紀末の引越しで、姑や舅の襲来
1999年12月末。
わたしたち夫婦は、新居に引越しました。二人の職場に近い新築賃貸マンションに引越したのです。
その翌日。
突然、両親から連絡が来て、年末年始に泊めさせてほしいというのです。父の仕事の関係での上京でしたが、ついでに4、5日東京見物をしたいというのです。
例のごとく、兄のところには泊まらないと言います。その理由は、兄家族は年末年始は奥さんの実家(東京)で過ごすので家にはいないというのがその理由でした。
わたしたちの新居は2LDKでしたが、部屋の一つはまだ、段ボールや荷物で埋め尽くされていて、年末年始の休みを利用して片付けや整理をする予定にしていたので、奥さんは今回だけは断ってくれと、大反対をしました。
しかし、わたしは、
「いまさらホテルは取れないし、仕方ない」
「お兄さんに頼めない?お兄さんのマンションがあるでしょう?誰もいないんでしょう?どうしてそこだとダメだの?それでもだめなら、なんとか空いているホテルをとるよ、どんな手段を使っても。」
「兄貴のところはダメだよ。茜だって、自分たちが留守なのに勝手に使われるの嫌でしょう?(そう言いつつ鍵渡しちゃってますし。わたし、言ってること矛盾だらけだし)」
「でも、今回は仕方ないじゃない。いつも、前もって教えてくれないからこういうことになるんだよ。それはご両親が悪いんじゃない?わたしはこういうことになるから、いつも前もって教えてくれって言ってたのに」
「いま、そのことを言っても仕方ないよ。今回は泊める。他に泊まる場所がないんだから」
「いや、ホテルは絶対にある!私は仕事関係でホテル事情を知っているから、年末でも空いてないわけはないのは知っているよ。私が予約するよ」
私は自分の親にホテルに泊まってとは、とても言えなかったので、なんとか、奥さんを説得しました。
要するに、いい子ぶりたかったんです。
そして、奥さんには自分の思う通りにするために”こと”を運んだ結果、奥さんの中で不満がくすぶり、やがては爆発することになったのだと今にしてみれば思います。
12月30日、朝から機嫌の悪い奥さんはどこかに出かけてしまいました。
そして、昼頃、両親が突然、やってきたのです。
部屋に入り、
「引越しでまだきちんと整理してないから、申し訳ないけれど、リビングに置いてあるソファーベッドで寝てくれる?」
わたしがそう言うと、両親は、奥さんがいないということもあって、露骨に不満を口にし始めました。リビングでは広すぎて落ち着かない。隣の部屋が空いているのなら、このソファーベッドを隣の部屋に持って行ってほしいと。空いていると言っても部屋の半分を段ボールが埋めつくているような部屋です。
しかも、ソファーベッドはかなりの重量。わたし一人では到底動かせる代物ではありませんでした。しかし、二人は自分たちも手伝うからと言ってきかない。
仕方なく3人でソファーベッドを段ボール部屋へ押し込みました。そのとき、ひきづるようにして動かしてしまったので、床に傷がついてしまいました。(←賃貸新居に傷!あり得ない!!余計なことをしなければ、なかった傷です? BY 茜)
それから、ここのレイアウトは使い勝手が悪いから、こうしたほうがいいと、住人でない両親が勝手に家具の配置を変え始めました。
そして、夕方、帰宅した奥さんは、テレビしかない床に傷のついたリビングを見て呆然。
さらに、奥さんの使い勝手のよいようにレイアウトされた配置も変えられ、さらに唖然。
奥さんは一言も何も言わず、もう一つの部屋に閉じこもってしまったのです。
それから、翌朝まで、彼女は部屋から出てきませんでした。
いままで、なにも気づいていなかった両親も、
「これはなにかおかしいぞ?」
と、初めて奥さんの気持ちを知ることになったのです。
だからといって、そこで仲良く和解するような嫁姑ではありませんでした。
ここから、長い長い冷戦が始まったのです。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)
お話は続きます。
風 宏(Kaze Hiroshi)
心の冷えとりコーチ
冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。